おわりに

現代を生きる親たちへ。そして、子どもに関わる全ての人へ

現代は「産みの苦しみの時代だ」と言う人がいます。“最近起こるいろいろな問題は、出産の時に味わう痛みのようなものだ”というのです。この苦しみの後には、成長した新しい未来があるとの見方ですが、私も同じ気持ちを持っています。それは人間の中にある、自然の強さを信じたいと思っているからです。

子育ての問題を考えた時、やはり親自身の生きる姿勢が問われることは、受け入れなければいけない事実です。しかし「子どもを親の期待で縛ってはいけない」と言われても、どうしてもできない親も少なくありません。親自身が「こうあらねばならない」という縛りを、ずっと引きずってきているのです。

もう自由になりませんか?

本当は苦しんでいる自分の気持ちに気付いてあげませんか?

親が自由にならなければ子どもが自由になるはずがないのです。

私はそれに気付いた時から、何度も何度もその思いと向かい合ってきました。こんな私が人と関われるのは「苦しみが人の幸せのために必要なものだ」と実感できているからだと思っています。全ての苦しみは「縛られている思いから自由になりなさい」というメッセージなのだと思います。

しかし、そういう自分を認め、許していくことはとても難しいことです。何度向かい合っても何かあると「私はダメだ」という思いが出てきます。でも、私の「生きる」ということはそういうことだと思っています。そうやって、少しずつ安心という本当の幸せに向かう自分を実感できることが、また“幸せ”だからです。

“子育て”も“親が本当の親になる”ということも、そして、“大人が本当の大人になる”ことも同じだと思います。“せめて人並みに”と願う親心に、親自身のエゴが隠れていないか、いつも問い直す必要があるのです。それは親だけでなく、人を育てることに関わる全ての人に言えることではないでしょうか。

「私は私でいいんだ」「あなたはあなたでいいよ」という気持ちを基本に置いて、でも、自然に添わない事には勇気を持って“NO”と言える。そんな自分を目指し続ける事が、私の人生だし、社会の進む道だと思っています。

人のこころのホームベースは、元来、すべての人に備わっているものなのかもしれないと思います。人間は、何かを成し遂げる為に生きているのではなく、そのことに気付く為だけに、人から育てられ、自分を育てていくものなのかもしれません。

そしてそのホームベースへの過程には、どんな育ち方をしようとも、どんな苦しいことがあろうとも、親から愛され、また自分自身も両親を愛していたという真実を思い出すことが何よりも大切であり、それによって救われるのだと確信しています。